November 26112014

 凩に襟を立てれば戦後かな

                           阿部恭久

年の凩一号は、関西・関東地方とも10月27日に記録されている。日増しに寒さはつのるばかり。ワイシャツでもコートでも、襟を立てている若者がいるし、普段はオシャレでなくとも凩が強い日だと、人は思わず襟を立てたくなってしまう。あの襟にはそういう機能も果たしているのだ。思い出すのは、寺山修司は凩や寒さに関係なく、普段から意識的にコートの襟を立てていることが多かった。それがまたカッコ良かったよなあ。カッコ良くない人は、どうか気取って襟など立てませんように。襟が汚れるだけですよ。襟を立てることによって戦後がはじまったわけではない。けれども「襟を立て」るという、ちょっと気取った様子と「戦後」のうそ寒さが妙な具合に呼応して感じられ、どこかホッとさせられるような、懐かしいような……。敗戦で精神的に落ち込んでいた日本人の、やり場のない淋しさ、悔しさ、窮乏感と寒さが、凩と向き合った際、せめて襟を立てるという行為が凛と身を起こしてくるように、私には感じられる。この句に「外套は二十世紀も擦切れて」がならんでいる。「生き事」9号(2014)所載。(八木忠栄)




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