September 2192014

 ちちろ鳴く壁に水位の黴の華

                           神蔵 器

和57年9月12日。台風18号の影響で、都内中野区の神田川が氾濫。作者は、この時の実景を15句の連作にしています。「秋出水螺旋階段のぼりゆく」「秋出水渦の芯より膝をぬき」都市にいて、水害に遭う恐怖は、底知れなさにあるでしょう。膝をぬくことで、一命をとりとめた安堵もあります。「鷺となる秋の出水に脛吹かれ」水中に立つ自身を鷺にたとえています。窮地を脱して少し余裕も。「炊出しのむすびの白し鳥渡る」何はともあれ、白いおむすびを食べて人心地がつきます。「しづくせる書を抱き秋の風跨(また)ぐ」家の中も浸水していて、まずは水に浸かった愛蔵書を救出。「出水引くレモンの色の秋夕日」レモンの色とは、希望の色だろうか。オレンジ色よりも始まりそうな色彩です。「畳なきくらしの十日萩の咲く」「罹災証明祭の中を来て受けぬ」。掲句は、この句の前に配置されています。「ちちろ」はコオロギのこと。「壁に水位の黴の華」というところに、俳人の意地をみます。凡人なら、「黴の跡」とするでしょう。しかし、作者は「華」として、あくまでも水害の痕跡を風雅に見立てます。水害を題材にして俳句を作るということは、体験から俳句を選び抜くことでもあるのでしょう。そこには自ずと季語も含まれていて、作者自身も季節の中の点景として、余裕をもって描かれています。『能ケ谷』(1984)所収。(小笠原高志)




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