September 1492014

 蚯蚓鳴く冥土の正子と一ト戦さ

                           車谷長吉

書に「白洲正子さまを偲んで」とあります。白洲正子が亡くなって一週間後、車谷は、「魂の師」が逝ってしまった悲しみを新聞に掲載しています。白洲正子を端的に言ったのは、青山二郎の「韋駄天のお正」でしょう。幼少の頃から能を習い、女性として初めて舞台に上がった正子は、能面を見る審美眼を骨董と古美術にも広げていき、近畿、とくに近江の古仏を探訪した『かくれ里』の足跡は、正子の眼によって、ひっそりと隠れていた山里の神社や寺、古い石仏たちを多くの日本人に開示してくれました。正子の目利きはさいわいに、無名の車谷長吉が『新潮』に掲載した『吃りの父が歌った軍歌』を見つけます。そして、一つの才能を発見した喜びに満ちた手紙を墨筆で車谷に届けました。それ以来、車谷は正子の眼を意識して創作と向き合うようになりますが、次の小説『鹽壺の匙』が出来たのは、七年後。すぐに正子から、ずっと待っていた由の手紙が届いたといいます。以来、車谷の文章は、すべて、第一の読者として、白洲正子を念頭に置いたものでした。掲句の季語「蚯蚓(みみず)鳴く」は、秋に地虫が鳴く音を、古人は蚯蚓が鳴くと思い込んでいたことに由来します。車谷は、この鳴く音を今、聞いていることによって、冥土の正子とつながっています。そして、新作を正子に手向け、挑んでいる。「さあ、ご覧ください。」車谷は、追悼文をこう締めています。「白洲正子の文章は、剣術に譬えるならば攻めだけがあって受け太刀のない、薩摩示現流のごときものであって、一瞬のうちに対象の本質を見抜いてしまう目そのものだった。」死してなお、師とつながり戦う、僥倖の句です。『蜘蛛の巣』(2009)所収。(小笠原高志)




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