August 13 2014
茗荷食み亡き友の癖思い出す
辻井 喬
ナマのまま刻んで薬味によし、味噌汁に入れて茗荷汁よし、天ぷらでよし、酢漬けでよしーー茗荷は重宝でうれしい野趣あふれた山菜である。屋敷のあちこちや山野へ出かけ、時季になると袋一杯に茗荷を採ってあるくことが、子どものころから私は好きだった。あの茶色なつややかさ、ぽってりとした茎が薄黄色の花をつける。子どもの頃うちではたくさん採れると、蒸かして芥子醤油でたんまり食べたり、味噌漬けにしたりした。晩夏に出る秋茗荷(花茗荷)は、花が出はじめる前が食べごろ。「その花、開かざるのとき、採りて食す」(『滑稽雑談』)と言われる通りである。あの独特の風味は何とも言えずうれしい。春にのびる茗荷竹もちがったおいしさがあった。「人はなくて七癖、あって四十八癖」と言われるが、この句の場合「亡き友」には、いったいどんな癖があったのだろうか? その友はおそらく茗荷が好きだったにちがいない。喬には『故なくかなし』『命あまさず』など、俳句小説もあった。自ら俳句も少々たしなんで、平井照敏主宰の「山の上句会」に忙しい合間をぬって参加したりもした。喬は惜しまれつつ昨年「亡き」人となってしまった。彼岸で時折、五七五の指を折ったりしておいでだろうか。日野草城の句に「人知れぬ花いとなめる茗荷かな」がある。「翡翠」389号(2014)所載。(八木忠栄)
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