July 3072014

 にはたづみ夕焼雲を捉へたり

                           鈴木 漠

焼雲は夏に限ったものではない。けれども、殊に夏のそれはダイナミックでみごとに感じられるところから、「夕焼」「大夕焼」とともに夏の季語とされる。「にはたづみ(潦)」は俳句でよく詠われる。降った雨が地上にたまって流れる、その水のことで、古くは「庭只海」とされていたというから、情趣のある日本語である。あんなさりげない流れ水を「……海」ととらえたところに、日本人ならではの感性が感じられる。夕焼雲をとらえた「潦」を詠んだ掲出句は、繊細でありながら天地の景をとらえた大きな句である。夏の雨あがりの気分には格別なものがある。両者はそれぞれ、天空と地上にあって別のものである。それを作者はみごと有機的に繋いでみせた。作者が中心になって連句をつづけている「海市の会」があって、その座で巻いた歌仙の一つ「潦の巻」(2010年8月首尾)の発句である。ちなみにこの発句につづく脇句は「タヲルをするり逃げる裸子」(士郎)と受けている。漠は他の歌仙(塚本邦雄追悼)の発句の一つを「初夏や僅(はつ)かも疾(と)くに折見草(おりみぐさ)」としている。ここには「つかもとくにお」が詠みこまれている。連句集『轣轆帖』(2011)所収。(八木忠栄)




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