July 2172014

 喪に服す隣の庭の百日紅

                           宮本郁江

の句と同じ実景のなかにいたことがある。三年ほど前に、父と弟、そして母をたてつづけに失ったころのことだ。私の仕事場の窓からは、まさに隣の庭(正確には小さな児童公園)に「百日紅」が植わっていて、毎夏咲いている様子を楽しむことができる。真夏の暑さに耐え抜いて長期間咲く百日紅は、よく見ると一つ一つはそんなに強靭そうな花ではないのだが、咲いてかたまりになったところを見上げると、ふてぶてしいくらいに強そうに見える。作者が失った人は誰かはわからないけれど、「喪に服す」という決意のような言いきり方に、個人を偲ぶ気持ちの深さが感じられる。この世を去っていったかけがえのない命と、いまを盛りと咲き誇る花の命と……。嫌でもこの対比に心をとらわれざるを得ない作者の、戸惑いのなかにも自然の摂理を受容している一種茫とした感覚が読者にも染み入ってくるようだ。これをしも、自然の癒しの力と言うべきなのだろうか。わからない。『馬の表札』(2014)所収。(清水哲男)




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