May 1152014

 母の日の祖母余所行着をすぐに脱ぐ

                           池田澄子

日は母の日。『新日本大歳時記』によると、もとは米国ウェブスターに住むアンナ=ジャービスが母を偲ぶため白いカーネーションを教会の人々に分けたのが始まりで、1914年5月にウィルソン大統領によって母の日と定められた、とあります。掲句は作者が少女の頃でしょう。祖母が外出先から帰ってきて、余所行着(よそゆき)をすぐに脱ぎ、大事に仕舞ってから普段着に着替えるその素早さを記憶しています。祖母にとって母の日は名ばかり。かつての母は、手を動かしながら家中をくまなく動き回っていました。家電が流通する以前の暮らしでは、衣・食・住のすべてが手間ひまかかる手仕事です。繕い物の針仕事、早朝の煮炊き、はたき・ほうき・ぞうきんがけ。手を動かしながら次の手仕事を見つけ 、それがまた、次の動きにつながります。その経験の積み重なりがおばあちゃんの知恵袋を作っていったのでしょう。掲句の祖母が「余所行着をすぐに脱ぐ」のは、普段着という仕事着に着替え、家庭のプロフェッショナルへと切り替わるスイッチのオンなのです。これぞ主婦のプロ。その記憶を孫に伝えています。かつての少女は、おそらく祖母の齢を越えて、その素早い替わり身を受け継いでいるのでしょう。なお、中七のほとんどを漢字にしたのは外出を暗示した工夫と読みました。『池田澄子句集』(ふらんす堂・1995)所収。(小笠原高志)




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