March 1232014

 ひとり酒胡麻すれ味噌すれ蕗の薹

                           多田道太郎

けいな気を遣わなければならない相手と酒を酌むよりは、ひとり酒の方がずっといい。気の合う相手であっても、やはりくたびれることがある。その時の気分でひとり静かに徳利を傾けたいこともある。主(あるじ)であるわれは、ひとり酒を楽しんでいるのだろう。いや「……すれ……すれ」と命じている様子から、気持ちが妙に昂じているのかもしれない。近くにはべる気易い相手に、蕗の薹をおいしく食すにあたり、「胡麻すれ味噌すれ」とわがままを言っているのだ。「勝手になさい!」ではなく、命令をきいてくれる「できた相手」がいれば、これにまさる美酒はあるまい。おいしそうな春到来。わがままを承知のうえで、酒呑みはそうした言動に出ることが多い(酒呑みの自己弁護に聞こえるかなあ)。「どうせ、酒も蕗の薹もひとり占めして、さぞおいしいことでしょうよ。フン」という呟きも、どこかから聞こえてきそうである。たいていの呑んべえは、じつはひそかに気を遣っている、かわいい男ではないのかしらん?(もちろん赦しがたい例外もあろう。)道太郎先生は大酒呑みではなかったが、楽しんでいた。小沢信男をして、その句を「飄逸と余情。初心たちまち老獪と化するお手並み」と言わしめた道太郎ならではの「お手並み」で、まこと飄逸な詠みっぷりですなあ。他に「老酔や舌出してみる春の宵」がある。『多田道太郎句集』(2002)所収。(八木忠栄)




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