March 0932014

 集つて散つて集まる蕨狩

                           宇多喜代子

ジオ体操のような句の作りです。前半の動作が後半でくり返されるところが似ています。このように感じるのは、日本的な集団主義のおかしさがみてとれるからでしょう。仲間同士か町内会の行事か、参加者を募って車を手配し、蕨山まで団体行動をとる。ここまでの手配と段取りは、律儀な幹事が取りまとめ、参加者はそれに従います。しかし、「散つて蕨狩」をする段になると、狩猟採集本能がよみがえってきて、我先に蕨を獲得しようと躍起になる者もあらわれます。日本人は、このように自然と向き合うときに、集団から解放された自身にたちかえられるのかもしれません。しかし、集合の時間になると、皆整然と集まり、一緒に来た路を帰ります。この行動様式は、小学校の遠足にも似ているし、大人のツアー旅行にも似ています。句会も吟行も同様です。掲句がもつ、集合と拡散と集合の運動に、読む者をほぐすおかしみがあるのでしょう。『記憶』(2011)所収。(小笠原高志)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます