February 24 2014
麗らかに捨てたるものを惜しみけり
矢島渚男
貧乏性と言うのだろう。なかなか物を捨てることができない。押し入れを開けると、たとえばオーディオ機器のコードの類いがぎっしりと詰まったビニール袋があったりする。さすがに壊れてしまった本体は処分してあるのだが、コードなどはまたいつか使うこともあろうかと、大事にとってあるのだ。が、ときどき袋のなかから適当に拾い出して見てみると、もはやどういう機器に使うためのコードなのかがさっぱり分からなくなっている。それでもやはり、断線しているわけではないはずだからと、とにかくまた袋に戻しておくことになってしまう。そんな私でも、この句が分かるような気がするのは不思議だ。いや、そんな私だからこそ分かるのかもしれない。作者が何を捨てたのかは知らないが、それを惜しむにあたって、「麗らかに」という気分になっている。これは一種の論理矛盾であって、惜しむのだったら捨てなければよいところだ。でも、思い切って捨てたのだ。そうしたら、なにか心地よい麗らかな気分がわいてきた。あたかも時は春である。この気分は、人間の所有欲などをはるかに越えて、作者の存在を大きく包み込んでいる。つまり、この句は人間の我欲を離れたところに存在できた素晴らしさを詠んでいる。捨てたことに一抹の寂しさを残しながらも、自分をとりまく自然界に溶けてゆくような一体感を得た愉しさ。これに勝るものは無しという境地……。『船のやうに』所収。(清水哲男)
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