January 2012014

 遠き日の藁打つ音に目覚めけり

                           大串 章

の間の農家では、藁仕事が欠かせなかった。俵、草履、縄、筵などの一年を通じて日常的に必要なものをこしらえておく。子供でも、縄や草履くらいは自前で作ったものだった。そんな作業をはじめる前に、必ずやったのが「藁打ち」だ。適当な分量の藁束を、小さな木槌でていねいに叩いてゆく。素材の藁を作業しやすいようにしなやかな状態にしておくためだ。そんな藁を打つ音も、いまではまったく聞かれなくなったが、昔はそこらじゅうから聞こえてきたものである。句の作者は、何かの物音で目覚めたのだが、どういうわけか一瞬にしてそれが藁を打つ音だと納得している。現実的にそんなことはあり得ないのに、夢うつつの世界では、こういうことはよく起きる。そしてこのときに、作者は「遠き日の」自分自身に同化している。まったき少年と化している。人生は夢のごとしと素直に感じられるのも、またこういうときだろう。「俳句」(2014年1月号)所載。(清水哲男)




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