December 032013
目閉づれば生家の間取り冬りんご
星野恒彦
夢から覚めてぼんやりしている時間に、ふと今居る場所がわからなくなることがある。目に入る情報でだんだんと現実をたぐり寄せるが、なぜかいつも幼い頃を過ごした実家の天井ではないことに不安を覚え、「ここはどこ?」と反応していることに気づく。人生の五分の一ほどしか占めていないはずの家の襖や天井の木目まで、今も克明に覚えているのは、そこが帰る場所ではなく、生きていく日々の全てを抱えていたところだったからだろう。元来秋の季語である林檎だが、貯蔵されたものは冬にも店頭に並ぶ。様々な果物の色があふれる秋ではなく、色彩のとぼしくなった冬のなかに置かれた鮮やかさに、作者の眼裏に焼き付いた生家がよみがえる。閉じられた目には、家族や友人の姿があの頃のままに描かれていることだろう。『寒晴』(2013)所収。(土肥あき子)
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