November 292013
ぼんやりと晩秋蚕に燈しあり
波多野爽波
蚕は、本来、春季であるが、晩夏から晩秋にかけて飼育されるものを「秋蚕」という。春と比べて、飼育日数も少ないが、繭の品質は劣るという。晩秋の蚕がぼんやりと照らされている。おそらく、裸電球であろう。照らされている蚕は、ただ、ひたすら桑の葉を食べているが、それを見つめている作者の意識は、朦朧と揺らぐような感覚の中へ誘われる。波多野爽波は、俳句において『農』のくらしを詠むことの重要性を、しばしば説いた。しかしながら、この句には、農のくらしへの親和感は微塵もうかがえない。『湯呑』(1981)所収。(中岡毅雄)
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