今日は掌の抜糸に行く。一分ですむ処置のためにどれほど待つの。(哲




20131126句(前日までの二句を含む)

November 26112013

 茶の花や家族写真の端は母

                           齋藤朝比古

族写真では家族の誰かがタイマーで撮影する。撮影者を除いた家族は一列に並び、母は遠慮がちに端に位置する。撮影者はタイマーをセットしたのち、列の端に加わるのが最適だと考える。が、しかし、母たるものの思考はそうではない。戻ってきた撮影者に対して「さぁさぁあなたが真ん中に。ほらここに入りなさい」と身をゆずり、「お母さんもうそんなこといいから」といった押し問答の間に、無情にもシャッターはおりてしまう。今のような撮影状態が常時確認できるデジタルカメラではない時代、失敗した写真のどれもが現像されることとなり、思いがけないやりとりが目の当たりになることもある。茶の花もまた、目の位置にどんと咲くような花ではない。花ならばもっと真ん中に咲けばいいのに、と思う心が在りし日の母の姿に重なってゆく。『累日』(2013)所収。(土肥あき子)




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