October 282013
霜柱土の中まで日が射して
矢島渚男
句を読んで、すぐに田舎の小学校に通ったころのことを思い出した。渚男句を読む楽しみの一つは、多くの句が山村の自然に結びついているために、このようにふっと懐かしい光景の中に連れていってくれるところだ。カーンと晴れ上がった冬の早朝、霜柱で盛り上がった土を踏む、あの感触。ザリザリともザクザクとも形容できるが、靴などは手に入らなかった時代だったから、そんな音を立てながら下駄ばきで通った、あの冷たい記憶がよみがえってくる。ただ、子供は観照の態度とはほとんど無縁だから、よく晴れてはいても、句のように日射しの行く手まで見ることはしない。見たとしても、それをこのように感性的に定着することはできない。ここに子供と大人の目の働きの違いがある。だからこの句に接して、私などははじめて、そう言われればまぶしい朝日の光が、鋭く土の中にまで届いている感じがしたっけなあと、気がつくのである。『延年』(2002)所収。(清水哲男)
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