September 16 2013
老人の暇おそろしや鷦鷯
矢島渚男
情景としては、老人がのんびりとした風情で日向ぼこでもしている図だろう。付近では「鷦鷯(みそさざい)」が、小さな体に似合わぬ大きな声でなにやら啼きつづけている。静かな老人とは好対照だ。ここまではよいとして、では「暇おそろしや」とは何だろう。作者には、何がおそろしいのだろうか。作句時の作者は五十代。そろそろ老いを意識しはじめる年代だ。みずからの老いに思いがゆきはじめると、自然の成り行きで周辺の老人に目がとまるようになる。詳細に観察するわけでもないけれど、一見暇をもて余しているように見える老人が、実は案外そうでもないらしいとわかってくる。老人がたまさか見せる微細な表情の変化に、彼がときにはまったくの好々爺であったり、逆に憤怒の塊であったりと、さまざまな感情が渦巻いている存在であることに気づくのである。老人の動作はのろいけれど、神経は忙しく働いているのだ。そんな趣旨の詩を晩年の伊東信吉は書き残したが、若者には伺い知れない老人の胸のうちを、作者は「おそろしや」と詠んだのだと思う。その「おそろしさ」の根元にあるのは、むろん「明日は我が身」というこの世の定めである。冬の句だが、敬老の日にちなんで……。『船のやうに』(1994)所収。(清水哲男)
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