子供たちの学校がはじまる。いつも宿題が間に合わなかったっけ。(哲




20130902句(前日までの二句を含む)

September 0292013

 こときれてゆく夕凪のごときもの

                           五十嵐秀彦

集では、この句の前に「眠りつつ崩るる夏や父の肺」が置かれているので、同じく父上の末期の様子を詠んだものだろう。島崎藤村が瀕死の床にあった田山花袋に「おい、死ぬってどんな心持ちだ」と呼びかけた話が残っているが、私も年齢のせいで人の死に際には関心が高くなってきた。夢の中で自分の死をシミュレートしていることに、はっと気づいて目覚めたりもする。夏の夕暮れの海岸地域では、海からの風が嘘のようにぱたっと落ちて、息詰まるような暑さに見舞われるが、人生の最後にもまたそのような状態になるのだろうか。つまり、傍目には死の病の苦しみがばたっと止んだように見え、しかし高熱だけは残っていて、そこから死が徐々に確実に忍び寄ってくる。と、作者にはそう思えたのだ。他者の死にはこれ以上深入りできないわけだが、この「風立ちぬ いざ生きめやも」とは正反対のベクトルがはっきりしているという意味で、私にとっては印象深い抒情句となった。『無量』(2013)所収。(清水哲男)




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