August 04 2013
たぬき寝の負ナイターを聞けるらし
水原秋桜子
日本で初めてプロ野球のナイター試合が行われたのが昭和23年。秋桜子は、一高野球部の三塁手だったのでナイターを詠んだ句も多く、手元の『水原秋桜子集』(1984・朝日文庫)には16句所収されています。ナイター俳句の初出は、「ナイターの負癖月も出渋るか」で昭和34年。各球場にナイター設備ができ始め、それと歩調を合わせてTVナイター中継も始まり、電化の力によってプロ野球は一気に大衆化していきます。子どもも大人も野球ファンは、シーズン開幕と同時に一喜一憂の生活が始まり、秋桜子も、「ナイターのいみじき奇蹟現じたり」と喜んだり、「ナイターや論議つきねど運尽きて」とへこんだり。どちらかというと負け試合の句が多く、敗北の屈託が句作に向かわせるのでしょう。さて、掲句。ラジオで試合開始から聞き始めているわけですが、試合展開はジリ貧で勝ち目がない。そのまま不貞寝してしまっている態を家人は「たぬき寝」とみてるだろうな、と自嘲してみせる、敗者の屈託。(小笠原高志)
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