July 21 2013
蚊柱やふとしきたてて宮造り
正岡子規
明治26年の作。前書に、「神社新築」とあります。江戸時代と明治時代では、政治体制から生活様式まで、大きな転換がありましたが、神社仏閣にも変革がありました。江戸時代は、今でも口に出して言う「神さま仏さま」が、神社や寺院で混然と一体化していましたが、明治政府は「神仏判然令」を出し、神社と寺院を分離します。神社は、宗教施設としてではなく、国家の宗祀として、国家が尊び祀(まつ)る公的な施設として位置づけられたので、新築も多かったはずです。明治39年には「神社合祀令」が発令されて、大規模な統廃合がおこなわれ、19万社から13万社へと整理されました。かつては、村の鎮守の森、氏神さまだった神社が、中央集権の影響を受けるようになってきた背景があります。掲句の「ふとしき」は、「太敷く」で、柱をいかめしく、ゆるがぬように建てることです。子規は、その手前に蚊柱が立っているのを見て、面白がったのでしょう。不安定にうごめく蚊柱と、地中奥深く突き立てて、地と天のかけ橋を造ろうとする神柱。ところで、中七は、全てひらがなになっています。これは、もしかしたら、それほど大規模な社殿ではなく、蚊柱と同じ視野に納まるほどの構図を示しているのかもしれません。神を数える助数詞は「一柱」ですが、その語源は二十以上の説があり、定まっていません。諏訪大社「御柱祭」の関係者は、「天と地との架け橋が有力」とおっしゃっていますが、いかに。なお、「蚊柱」の中心には一匹の雌が居て、その周りを有象無象の雄たちが、惑星、衛星、すい星のようにぐるぐる回っているそうです。子規は、この事実は知らなかったでしょうね。『子規句集』(1993・岩波文庫)所収。(小笠原高志)
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