March 29 2013
天皇も老斑もたす桜かな
田川飛旅子
最初読んだときはなんて世間的常識に乗った句だろうと思ったのだった。周知のごとく天皇は敗戦までは「現人神」であられた。負けたら「人間」になられた。その「常識」を踏まえて人間なんだから老斑も持たれるのだと詠んだ。俗臭ぷんぷんの述懐だなあと。最近はこの句が違ってみえてきた。田川さんは大正3年生まれ。昭和15年に応召。海軍大尉に昇進後、海軍少将橋本信太郎の娘信子さんを娶る。その義父は戦隊司令官として重巡羽黒に乗艦しペナン沖にて戦死。田川さんは職業軍人ではなかったが、軍幹部に見込まれた軍国日本のエリートの立場でもあった。そういう世代や立場の人にとって「天皇」という存在がどのように「現人神」であったかということについては戦後生まれの人間の理解と想像を超えるところがある。田川さんは東大出だが、当時の知識人としてそういう「常識」といかに折り合いをつけていたのだろうか。兵は死に瀕したとき天皇陛下万歳ではなく「お母さん」と叫んだというのも「戦後民主主義」によってつくられた意図的な「俗説」臭い。お母さんではなくて「天皇陛下万歳」と心から叫んだ兵も多かったはずである。それは軍国教育による悲劇(喜劇)と言ってしまっていいのか。「天皇の老斑」の問題は今も終わっていないように思える。『邯鄲』(1975)所収。(今井 聖)
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