November 26 2012
葱提げて急くことのなく急きゐたり
山尾玉藻
生活習慣というか習い性というものは、一度身についたら、なかなか離れてはくれない。作者は、いつものように夕餉のために葱などを買い、少し暗くなりかけた道をいつものように急ぎ足で家路をたどっている。が、本当はべつに急ぐことはないのである。夕食を共にする人はいないのだから、自分の都合の良い時間に支度をすればよいのだ。なのに、つい腹を空かせた人が待っている頃の感覚のほうが優先してしまい、べつに急(せ)くこともないのに急いている自分に苦笑してしまっている。場面は違うとしても、この種のことに思い当たる人は少なくないだろう。この句からだけではこれくらいのことしか読めないが、実は作者の夫君(俳人・岡本高明氏)がこの夏に亡くなったことを知っている読者には、この苦笑を単なる苦笑の域にとどまらせてはおけない気持ちになる。苦笑の奥に、喪失感から来る悲哀の情が濃く浮き上がってくる。岡本高明氏の句に「とろろ汁すすり泪すことのあり」があるが、作者の別の句には「葱雑炊なんぞに涙することも」がある。「俳句界」(2012年12月号)所載。(清水哲男)
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