November 05 2012
逝くものは逝き巨きな世がのこる
藤木清子
幻の女流俳人と言われる人が二人いる。一人は敗戦後すぐに句集を出した鈴木しづ子で、もう一人がこの句の作者である藤木清子だ。彼女は日中戦争時代に、日野草城の「旗鑑」や「京大俳句」に句を寄せている。二人とも人目に触れる場所での活動期間は短く、いわば「一閃の光芒を放って消えた短距離ランナー」(宇多喜代子)であり、俳句をやめてからの消息は一切不明のままだ。清子に至っては、写真一枚すら残っていない。句の文字面の意味は明瞭だが、しかし、いまひとつ真意を捉えにくい句だ。それはおそらく「巨きな世」の指し示す世界が、現代の常識とは大きくずれているせいではないかと愚考する。戦前のあの時期で「巨きな世」といえば、たいていの人が思い浮かべたのは万世一系の天皇家を頂点とする「不滅の」世界だったろうからである。兵士などの逝くさだめの者は死んでいくのだけれど、巨きな世は永久に安泰である。皮肉でも風刺でなく、素朴にそういうことを言いたかったのではあるまいか。しかし現代的な感覚で読むと、皮肉が辛辣に利いていて、デスペレートな気分の作者像が浮かんでくる。逆に、この句から「万世一系」の世を思えと言われても、そうはまいらない。時代をへだてての句を読むのは難しい。そのサンプルのような句だと思った。宇多喜代子編著『ひとときの光芒・藤木清子全句集』(2012・沖積舎)所収。(清水哲男)
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