October 04 2012
水澄んで段差になつてをりし父
大石雄鬼
水に映る自分の姿に見入るのはナルキッソスの話から何らの自意識の投影と思われる。ところがこの句ではその影を「段差になる」と表現している。底まで清らかに澄んでいる水面に映っている父としての自分の影が段差になって見えている。屈折するその影が日常見過ごしている違和感を表しているようだ。父とは母と違いむくわれない存在であるように「母」体験者である自分などは思う。母子は言葉を超えての密着が在るが故、確執も愛憎も激しい。それに比べ「父」は家庭を維持する経済的負担と精神的負担が大きいわりに親密さに置いては蚊帳の外である。「父」という言葉には家族の中での孤独が隠されているように思う。「段差になってをりし父」とそれを見ている自分と突き放して描き出すことで、そこはかとない哀愁を感じさせる。『だぶだぶの服』(2012)所収。(三宅やよい)
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