September 20 2012
子規逝くや十七日の月明に
高浜虚子
子規が亡くなったのは明治三十五年九月十九日だった。この句にある十七日は陰暦八月十七日の月という意味だという。夜半過ぎに息を引き取った子規の急を碧梧桐、鼠骨に告げるべく下駄を突っかけて外に飛び出た虚子は澄み切った夜空にこうこうと照る月を見上げる。「十七夜の月は最前よりも一層冴え渡つてゐた。Kは其時大空を仰いで何者かが其処に動いてゐるやうな心持がした。今迄人間として形容の出来無い迄苦痛を舐めてゐた彼がもう神とか仏とか名の附くものになつて風の如くに軽く自在に今大空を騰り(のぼり)つゝあるのではないかといふやうな心持がした」と子規と自分をモデルにした小説『柿二つ』に書きつづっている。子規が亡くなって110年。病床にいながら子規の作り上げた俳句の、短歌の土台の延長線上に今の私たちがいることを子規忌が来るたび思う。講談社「日本大歳時記」(1971)所載。(三宅やよい)
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