August 27 2012
人人よ旱つづきの屋根屋根よ
池田澄子
あいかわらずの旱(ひでり)つづきで、げんなりしている。冷房無しのせいあるが、団扇片手に昼寝をきめこんでもあまり眠れず、なんだか「ただ生きているだけ」みたいな感じだ。この句は、みんながまだ冷房の恩恵に浴していなかった昔の情景を思い起こさせる。小津安二郎が好んで描いた東京の住宅街は、まさにこんなふうであった。ビルもそんなにはなく、「屋根屋根」は平屋か二階建ての瓦屋根だ。それらが夏の日差しのなかにあると、嫌でも脂ぎったような発色となり、ますます暑い気分が高じてくる。白昼ともなれば、往来には人の影もまばらだ。「人人」はいったいどうしているのかと、ついそんなことが気になってしまうのだった。それでもどこの「家家」の窓も開いているから、ときおりどこからかラジオの音が流れてきたりする。ああ「人人」は健在だなと、ほっとしたりしたのも懐かしい。『たましいの話』(2005)所収。(清水哲男)
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