June 11 2012
ひとかなし氷菓に小さき舌出せば
嵩 文彦
テレビを見ていると、年中誰かが物を食べていて、「うーむ、美味い」などと言っている。かつての飢えの時代を体験した私などは、たまらなくイヤな気持ちになる。「ひと」が物を食べる行為は、いかにテレビがソフィステケートしようとも、本能の根元をさらしているわけだから、決して暢気に楽しめるようなものではない。「ああ、人間は、ものを食べなければ生きて居られないとは、何という不体裁な事でしょう」と言ったのは太宰治だが、現代はそういうことにあまりに無神経過ぎる。棒状の固い氷菓は、まず舌で舐めなければならない。かぶりついても、氷菓は容易に崩れてはくれないからだ。まず舌で舐めるのは、つまり本能が我々にそうするように強いているからそうしているのである。本能の智慧なのだ。私たちは、ほとんど例外なくアイスキャンデーをそうやって食べている。このときに「ひとかなし」と作者がわざわざ言わざるを得ない気持ちを、もしかすると飢餓を知らないひとたちはわからないかもしれない。『ランドルト環に春』(2012)所収。(清水哲男)
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