May 30 2012
生き方の他人みなうまし筍飯
嶋岡 晨
豆飯、麦飯なども夏の季語とされるけれども、やはり筍飯は初夏の到来を告げる、この時季ならではの飛び切りのご馳走である。若いときはともかく、人は齢を重ねるにしたがって、生き方がうまいとか、要領が良いとか良くないとか、自他ともに気になってくるようだ。が、うまい/うまくないは“運”もあるだろうし、努力だけではどうしようもないところがあって、なかなか思うように運ばないのが世の常。いや、とかく他人(ひと)さまのほうが、自分より生き方がうまいように思えるものでもある。おいしい筍飯を食べて初夏の味を満喫している時だから、いっそう自省されるということなのだろう。掲句の「うまし」はもちろん他人の生き方のことだが、同時に「筍飯」にも懸かっていると読解すべきだろう。(蛇足:私は筍の季節になると、連日のように煮物であれ、焼物であれ、筍飯であれ、一年分の筍を集中的に食べてしまう。日に三度でも結構。ところが今年は、セシウム汚染で地元千葉のおいしい筍は出荷停止となり、筍を食べる機会は数回で終ってしまった。食ベモノノ恨ミハ怖イゼヨ! 満足できない初夏であった。)晨には他に「水底に沈めし羞恥心太」がある。『孤食』(2006)所収。(八木忠栄)
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