April 15 2012
山桜雪嶺天に声もなし
水原秋桜子
私の故郷、釧路の花見は六月です。南北に長く、高低差のある日本列島の春は、ゆっくりやってきます。北国、雪国、寒冷地の春はこれからです。掲句は、はるか遠景に雪嶺を望む盆地の山桜に、声も出ないほど見入ってしまっている実景の句でしょう。句の視線は、山桜から雪嶺へ、雪嶺から天へと高度を上げ、それは、花から雪へ、雪から天へと純度を上げていくことでもありながら、急転直下、声もなしと作者のところにストンと落ちてきています。清澄な気持ちは天まで昇りつめ、一転、地上の自身に帰ってくる。作者は、声を出せないことで、天まで昇った純度を俗に陥ることなく保ちました。たとえば、信州で野良仕事をしているお百姓さんが、ふと手を休めて山桜を 見上げたとき、「山桜雪嶺天」の漢語が連なっているように、花と雪嶺と天が一体となった風景を見て、声が出ない、言葉をのみ込む、しかし、その時、風景そのものをのみ込んでしまっている、それゆえお百姓さんは寡黙なのでしょう。作者・秋桜子も、この土地の人が、この土地の「山桜雪嶺天」を見るようにこの風景をのみ込んでしまって声もなし、だったのではないでしょうか。以前、舞踏の土方巽さんが、弟子をとるときは、納豆を食わせる、とおっしゃっていました。「うまい」と言ったら不合格。黙ってズルズル食い切る奴を弟子にすると。にぎわう花見は天地人の人。声が出ない花見は天地人の天。どちらも好きです。『日本大歳時記・春』(1983・講談社)所載。(小笠原高志)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|