March 21 2012
春寒やしり尾かれたる干鰈
村野四郎
今年の冬は例年以上に寒さが厳しかったから、春の到来は遅い。したがって、桜の開花も遅いという予報である。カレイに限らずアジでもメザシでも、魚の干物の尾はもろくていかにもはかない。焼けば焦げて簡単に砕けるか欠け落ちてしまう。(私は焼いた干物のしり尾は、食べる気になれず必ず残す。)掲句の場合のカレイは柳カレイだろうか。ならば尾はいっそうもろい。まだ寒さが残る春の朝、食膳に出されたカレイの干物にじっと視線を奪われながら、食うものと食われるもの両者の存在論を追究している、といった句である。いかにも新即物主義(ノイエ・ザハリヒカイト)の詩人らしい鋭い感性がそこに働いている。上五の「寒:kan」、中七の「かれ:kare」、下五の「鰈:karei」、それぞれの「k音」の連なりにも、どこかまだ寒い響きの感じを読みとることができる。四郎の代表的な詩「さんたんたる鮟鱇」は「顎を むざんに引っかけられ/逆さに吊りさげられた/うすい膜の中の/くったりした死/これは いかなるもののなれの果だ」とうたい出される。干鰈と鮟鱇の見つめ方に、共通したものが感じられないだろうか。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)
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