「春雨じゃ濡れてゆこう」。そんな元気はないけれど、一雨歓迎。(哲




20120207句(前日までの二句を含む)

February 0722012

 探梅の水に姿を盗られけり

                           水内慶太

のない時代、人は水に姿を映していた。それが確かに自分であるという確信は、ずいぶん心もとないものだったことだろう。しかし、姿を映すことは不吉でもあった。後年の写真がそうであったように、真実を映すとき、魂がそちらに移ってしまうと思われていたからだ。春の兆しを探す足元に水があり、なにげなく通り過ぎた拍子にわが身を見た。あまりにありありと映る水面に、ふと姿を盗まれたと思えたのだろう。青過ぎる空を映しているばかりの水は、そこを通過する何人もの姿を飲み込んできたに違いない。探梅という、ゆかしく訪ねる心が、作者を一層感じやすくしている。「月の匣」(2011年3月号)所載。(土肥あき子)




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