訓練で一度だけ扱ったことはあるが、いま即座に使う自信なし。(哲




2012年1月12日の句(前日までの二句を含む)

January 1212012

 灯らぬ家は寒月に浮くそこへ帰る

                           関 悦史

灯や窓明かりがついた家に囲まれて一軒だけが暗い。ずっと一人で住んでいる人には「灯らぬ家」は常態であり、こうまで寂しくは感じないのではないか。待ってくれる家族がいなくなって、よけいに「灯らぬ家」の寂しさが身にこたえるのだろう。深夜になって回りの家の灯りが消えれば冷たい闇に沈んだ家へ寒月の光が射し、浮きあがるように屋根が光る。冷たい月の光がそこに帰る人の孤独を際立たせてゆく。いずれ賑やかに家族の時間も過ぎ去り、誰もが灯らぬ家に帰る寂しさを味わうことになるだろう。帰ったあと、ひとりで過ごす長い夜の時間を思うと掲句の冷たさが胸に刺さって感じられる。『六十億本の回転する曲がつた棒』(2011)所収。(三宅やよい)


January 1112012

 年はじめなほしかすがに耄(ぼ)けもせで

                           坪内逍遥

しかすがに」は、「然(しか)す」+「がに」(助詞)で、「そうは言うものの」といった意味をもつ。若いときはともかく、わが身に何が起こっても不思議はない六十、七十代になれば、おのれの「耄け」のことも頭をかすめるのは当然である。だから耄けている人を見ると、他人事だと言って見過ごすことはできなくなってくる。「明日はわが身」である。掲句は逍遥が何歳のときの句なのかはわからない。逍遥は六十歳を過ぎた頃から短歌や俳句を始めたという。昔は年が改まることで歳をとった。だから大晦日を「歳とり」とも呼んだ。年が改まったけれど耄けていないという安堵と妙な戸惑い。もっとも耄けた本人に耄けた自覚はないだろうけれど。逍遥は「元日におもふ事多し七十二」という句も残しているが、七十五歳で亡くなっている。人間誰しも死ぬことは避けられないし、致し方ないけれど、どんな死に方をするかが問題である。晩年の立川談志もそう言っていた。誰しも耄けたくはないだろうが、予測はつかない。高齢になって心身が意のままにならないのに、いつまでも耄けないというのも、傍から見ていてつらいことだと思われる。いかがだろうか? 逍遥にはそれほどすぐれた俳句はないが、もう一句「そそり立つ裸の柿や冬の月」を挙げておこう。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


January 1012012

 落涙に頁のちぢむ寒昴

                           田代夏緒

は一旦濡れると一見しなやかに見えながら、乾いてからおどろくほど醜くでこぼこする。水を含んだ紙の繊維が好きな形に戻ってしまう理屈だが、それが涙となると単なる水滴とは違った表情を見せる。掲句では、ぽとりと本の上に落ちた涙を振り払うように目を転じると、窓の外には星が輝いている。それが鋭く輝く寒昴であることで、しめっぽい情から切り離すことができた。ところで、ずっと以前に読んだ本の、思いがけない場所で自分の涙の跡に再会することがある。その時とはまったく違う人物に感情移入していることに、時の流れを感じながら、当時の季節や部屋のカーテンの色など、まるで涙で縮んだ紙がほどけていくように、思い出がたぐり寄せられてゆく。「月の匣」(2011年3月号)所載。(土肥あき子)




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