November 30 2011
昼火事に人走りゆく冬田かな
佐藤紅緑
夜間の火事にくらべて昼火事は、赤々と炎があがるという派手さは少ないけれど、おそろしく噴きあがる煙が一種独特な緊張感を喚起する。風景も人の動きもはっきりと目に見えるからだろうか。そしてなぜか火事だというと、警報に誘われるように人はどこからか遠巻きに物見高く集まってくる。不謹慎な言い方になるけれど、火事は冬か春先が似合う。火には寒気? 真夏の暑い盛りの火事はだらしないようで、私にはピンとこない。冬の田んぼにはもう水はないし、刈ったあとの稲株も枯れて腐ってしまっている。「スワ、火事だ!」というので、干あがった田の面か畔をバラバラと駆け出してゆく野次馬どももいよう。私にも昼火事の野次馬になったことが一度ならずあるが、妙に気持ちが昂揚するものだ。高校に入学して最初の授業中に起きた、校舎のすぐ隣にある大きなマッチ工場の火事のショックは忘れがたい。上級生たちは消火の手伝いに走ったが、とんでもない学校に来てしまったと、そのとき真剣に考えたっけ。冬田の句には鴉とか雨の取り合わせが目立つけれど、昼火事と冬田の取り合わせは鮮やかなダイナミズムを生み出している。富安風生に「家康公逃げ廻りたる冬田打つ」という傑作がある。平井照敏編『新歳時記・冬』(1996)所収。(八木忠栄)
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