November 04 2011
二科展へゴムの木運びこまれをり
西原天気
展覧会への絵の搬入搬出は多く詠まれるところ。この句は違う。どこにでもあるような、なんとなく展覧会の空間にも合うようなゴムの木が運び込まれているところが好きだ。二科展という語が秋の季語でなんとなく仕方なく季語を用いているようなところに共感する。だいたい「芸術の秋」というなんだかよくわからない理由で二科展が秋季に催されることになったか、或いは展覧会が結果的に多いから芸術の秋と呼ばれだしたか、どちらかよくわからないが、どちらにしても二科展が秋季にあらねばならない必然性は薄いことだろうにと思うのだ。作者はそんな「季語」を据えた。季節の本意を目的的に書くつもりはまったく無くても一句から季語を排除できないそんな「気弱」なところが好きだ。たとえば楸邨も草田男も誓子もその作風の方法的魅力の中に季語が重要な位置を占めているわけではないのに無季の作品はほとんどない。季語を捨てられない理由は三者三様だろうが、現実空間を描写することを是としているという点では共通しているからその点で季語が有効だという認識を持っていたことは間違いないだろう。ものを凝視するという素朴な「写生」から離れて、機智だのユーモアだの見立てだののインテリジェンスをふんだんに盛り込んでもやっぱり歳時記掲載の季節の言葉を用いるという折衷に、過渡期としての現代があるような気がする。『けむり』(2011)所収。(今井 聖)
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