October 25 2011
しばらくは手をうづみおく今年米
小島 健
幼い頃から食事の都度「ご飯を残してはいけない」「お米という字は八十八の手間がかかるという意味だ」と聞かされ、食事ができたから呼んできて、と言われれば「ごはんだよー」と声を掛けてきた。朝ご飯、昼ご飯、晩ご飯、どれもほっこりとやさしい響きがする。今や米食は、必ずしも毎回の食事に顔を出すものではなくなったが、かつて日本人にとってお米とは食事そのものだったのだ。子どもの頃は炊きあがったご飯のつやつやとした美しさとおいしさしか知らなかったが、大人になってからは精米されたばかりの米にも輝く白さと、甘い香りがあることを知った。掲句の「うづみおく」とは、うずめておくの意。きらきらとした新米が届き、ふと手を差し込んでみれば、小さな一粒一粒が、指の間をふさぎ、ひやりとした感触が手を包み込む。一般的に「米粒ほど」とは、小さいものの例えだが、この丹念に手をかけられた小さき一粒はことのほか美しく尊いものである。新米に埋めた手をぎゅっと握り、命のひしめきをじかに感じてみたくなった。〈夕星や鯨ぶつかる音がする〉〈冬眠やさぞ美しき蛇の舌〉『小島健集』(2011)所収。(土肥あき子)
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