September 04 2011
僧朝顔幾死にかへる法の松
松尾芭蕉
今週も芭蕉の句から。幾死は「いくし」、法は「のり」と読みます。誰の句だって、読みたいように読んでしまってよいわけです。しかし、この句はちょっと難しい。僧と朝顔は、死んではまた新しく生まれ出るものを象徴しています。朝顔は年々、それぞれの命を変えるものだし、僧の寿命は朝顔より長いものの、幾度も死んではまた生まれてくると考えれば、同じものと言えます。一方、松の方は、ずっと生き続けるものとして対比されています。法は仏法の法。宗教に携わる僧の命は絶えることがあっても、仏法は松のようにずっと生きているのだということなのでしょう。むろん松にも寿命はあるわけですが、ここは素直に読みましょう。それにしても年をとってくると、宇宙の大きさとか悠久の時の長さの中に、小さな自分をそっと置きたくなるのは、なぜでしょう。『芭蕉物語(上)』(1975・新潮社) 所載。(松下育男)
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