August 25 2011
朽ち果てしその蜩の寺を継ぐ
佐山哲郎
家がカトリックだった私は寺にはまったく縁がない。それ以上に生まれ育った神戸という街そのものに寺が少なかったように思う。そのせいか、東京の谷中から上野、浅草あたりを歩いたとき、その寺の多さに驚いた。それぞれの寺には卒塔婆の乱立する古い墓地があり、寺を継ぐというのは何基あるかわからない墓の管理とその檀家の法事の一切を引き受けることと思えば気が遠くなる。考えれば武田泰淳から永六輔、植木等まで寺の息子というのはけっこう多いようだ。「朽ち果てし」という上五と蜩の声はぴったりの侘び具合であるが、「その日暮らし」という語も仕掛けられているのは言うまでもない。題名そのものも人を食った味わいがあるが、少しうらぶれた下町の情緒と、洒落のめしたナンセンスが混然一体となった句集である。『娑婆娑婆』(2011)所収。(三宅やよい)
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