畑で完熟したトマトが食べたい。流れる汗を拭き熱い汁を滴らせ。(哲




20110718句(前日までの二句を含む)

July 1872011

 何もなく死は夕焼に諸手つく

                           河原枇杷男

際、死には何もない。かつて物理学者の武谷三男が亡くなったとき、哲学者の黒田寛一が「同志・武谷三男は物質に還った」という書き出しの追悼文を書いた。唯物論者が死のことを「物質に還る」と言うのは普通のことだが、追悼文でそう書かれてあるのははじめて見たので、印象に残っている。そのように、死には何もないと私も思うけれども、自分が死ぬときに意識があるとすれば、何もないとすっぱり思えるかどうか、ときどき不安になることもある。句の作者は唯物論者ではなさそうで、だから西方浄土の方向に輝く夕焼けに埋没していくしかないと、死を冷静にとらえてみせているのだろう。ここには厳密に言えば、何もないのではなくて、夕焼けに抒情する心だけはある。何もないと言いながらも、やはりなおどこかに何かを求めている心があるということだ。すぱっと物質に還るとは思い切れない人の心の惑いというもののありかを、句の本意からは外れてしまうが、つよく思わされた句であった。『昭和俳句選集』(1977)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます