June 03 2011
五十なほ待つ心あり髪洗ふ
大石悦子
なほと言っているのだからこれまでもずっと待っていた。五十になった今も待っている。何を待っているのかと言うと、これは異性。作者は女性だから男を待っている。髪洗ふという動作が「女」を強調していて、その強調の意図は「男」を待つということに繋がる。抽象的な理想的な男、つまり白馬の騎士を待っているのだ。女は待ち、男は行く性であると言ってしまっていいのだろうか。女はいつも白馬の騎士を待っていると重ねて断じてしまっていいのだろうか。異論のある向きもあろう。しかしこの句はそういう一般的な概念の上に乗っている。俳句とはそういう通念から離れて詠うものではないと主張しているのだ。『花神俳句館・大石悦子』(1999)所収。(今井 聖)
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