May 06 2011
なにひとつなさで寝る夜の蛙かな
上村占魚
花鳥諷詠というのはどこかで自己肯定に通じると強く感じることがある。自然は普遍だ。普遍のものを求めたければ、「小さな我」の世界を大きく包み込む造化に眼を遣りなさいという論法はどうも嘘臭い。小さな我を捨てるということが、類型的である我を肯定する言い訳になっていると感じるせいかもしれない。ちっぽけな我とは一体何者なのかというところをまず攻めるべきではないか。なにひとつなさないで寝てしまう我に向けられる自己の眼は、いたらない小さな自分を告白している。それは類型的自己からの覚醒といってもいい。『鮎』(1946)所収。(今井 聖)
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