被災地仙台に捧げられた映像『Sendai by Tango Sierra.avi 』(哲




20110504句(前日までの二句を含む)

May 0452011

 若葉して手のひらほどの山の寺

                           夏目漱石

わやかな若葉の頃の山路を歩いているのだろうか。見渡すかぎり若葉に包まれた山腹に、おそらく小さな寺が見え隠れしているのだろう。遠方であるがゆえに、寺が「手のひらほどに」小さく見えるというわけではあるまい。寺そのものが小さいのだ。あふれる若葉に押しつぶされそうになりながらも、そこに小さな存在を主張している、忘れられたような山寺。そうした眺めを前に足を休め、山路をやってきた人はホッとして呼吸を整えているのかもしれない。小さな山寺のありようよりも、それを眺めている人のありようのほうを、むしろ映し出してくれるような句である。そのあたりに漱石の心憎い手腕が感じられる。単に小さいというのではなく、「手のひらほどの」という形容によって、小さくて、どこかしら可愛らしい風情の山寺が見えてくる。周囲には、寺を手のひらに包むようにして萌えあがる若葉。「菫ほどの小さき人に生れたし」「橋杭に小さき渦や春の川」――漱石は俳句で小さいものに惹かれていたようで、何句も詠んでいる。文庫版解説のなかで坪内稔典はこう書いている。「俳句は本来的に簡便で小である。その簡便で小さなものの価値、それの楽しみなどを、漱石の俳句は実に多彩に示している」。岩波文庫『漱石俳句集』(1967)所収。(八木忠栄)




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