March 09 2011
足のうら足をはなれてはるのくれ
武田 肇
春は身も心も浮き立つ季節である。日も永くなってきて、やわらかい日ざしのなかを、どこまでも歩いて行きたい心地がする。軽快に歩いているうちに、うっかりしていつのまにか、足のうらが足を離れてしまったような錯覚に陥ってしまったというのであろう。うん、わかります。夢うつつの境地での散策なのかもしれない。足跡には足を離れてしまった足のうらが、名残りのようにそっくりそのまま、ずっと春の宵の口のほうまで、ひたひたつづいているのだ、きっと。足をなくした足のうら、足のうらをなくした足――春なればこそのややこしい椿事? 春の暮ならではの奇妙な時空が、そこに刻みこまれているように思われる。「…はなれて/はるのくれ」の「ha」音の連続が心地よい。「春の暮」と「春の夕」とでは暗さの重みのニュアンスが微妙にちがう。肇は句集にこう記している。「俳句も進化すべきであり、必然的に進化するであらう。もつといへば季題に内在する普遍的な力がさうさせる筈である」。他の句に「あしのうらはどこからきたかあまのがは」「春風や引戸に掛ける手のかたち」などがある。『ダス・ゲハイムニス』(2011)所収。(八木忠栄)
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