March 07 2011
過ぎ去つてみれば月日のあたたかし
山田弘子
本来「あたたか」は春の季語だが、掲句の場合は明らかに違う。強いて春に結びつけるならば「心理的な春」を詠んでいるのだからだ。ただこのことが理屈ではわかっても、実感として染みこんでくるのには、読者の側にもある程度の年輪が必要だ。若年では、とうてい実感できない境地が述べられている。詩人の永瀬清子に『すぎ去ればすべてなつかしい日々』というエッセイ集があって、昔手にしたときには、なんと陳腐なタイトルだろうと思ったものだが、本棚の背表紙を見るたびに、加齢とともにだんだんその思いは薄らいでいった。父が逝ってからまだ三週間ほどしか経っていないけれど、父とのいろいろなことが思い出され、こっぴどく叱られたことも含めて、それらの月日は不思議に「あたたか」いものとして浮かび上がってくる。そして同時に、自分を含めた人間の一過性の命にいとおしさが湧いてくる。それなりの年齢に達したことが自覚され切なくもあるが、春愁に傾いていく心は心のままに遊ばせておくことにしよう。いまさらあがいてみたって、何もはじまりはしないと思うから。『彩 円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)
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