February 25 2011
紅梅に干しておくなり洗ひ猫
小林一茶
どうやって干したんだろう。枝に縛ったりしたとは思えない。木の上に上らせて置いたということの比喩だとしたら、猫が意味もなく木の上に長く留まるとは考えにくい。だいいち昔も猫を洗ったということが僕には新鮮。僕の子供の頃は人間様でも毎日は銭湯に行かなかったし、髪なんか週一くらいしか洗わなかった。一茶の時代ならもっと間隔が空いていただろうに、そんな時代に猫を洗うとは。野壺にでも落ちたか。今の俳句ならヨミの許容範囲が広がっているので、「紅梅に」で軽い切れを入れて読む読み方もあるかもしれぬ。猫は別の場所に干してあるという鑑賞だ。それから、馬や牛を洗うのが夏の季題だから、猫を洗うのもやっぱり夏がふさわしくて、紅梅とは季節感がずれる、なんて言いそうだな、現代は。僕は、猫は絶対に紅梅の木の上にいると思う。この句の魅力はこのユーモアが現代にも通じること。河豚を食べたがなんともなかったとか、落花が枝に帰るかと思ったら蝶だったとか、古句の中のユーモアはあまり面白くないことが多いが、この句、今でも十分面白い。『一茶秀句』(1964)所収。(今井 聖)
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