チュニジアの内紛で久しぶりに英雄ハンニバルの話を思い出した。(哲




20110119句(前日までの二句を含む)

January 1912011

 思うことなし山住みの炬燵かな

                           石川啄木

の人は思考停止の状態で、炬燵に入っているのだろう。失意の果て今は何も思わず考えず? 北海道時代の啄木のある日ある時の自画像かもしれないが、啄木のことだから、まったくのフィクションとも考えられる。「山住み」ゆえにのんびりとして、暇を持て余し所在なく炬燵にもぐっている。今は何ごとにも手をつける気力もなく、ただ炬燵で時をやり過ごして、何の意欲もわいてこない。まあ寒い時季に、妙にあくせくしているよりはむしろ好ましいか。失意のどん底にあるというわけでもなさそうだ。「……渋民村は恋しかり/おもひでの山/おもひでの川」ではないが、啄木の歌には「思ふ」という言葉が頻繁に遣われている。「ことさらに燈火を消して/まぢまぢと思ひてゐしは/わけもなきこと」――暗がりでわけもないことに思い煩っているよりは、「百年(ももとせ)の長き眠りの覚めしごと/あくびしてまし/思ふことなしに」、つまり余計なことに思い煩わされることなく、炬燵であくびでもしていましょうや、というわけか。啄木の俳句は数が少なく、しかもいずれも月並句のレベルを出ない。年譜からも、幾多の解説の類からも啄木句はほとんど無視されている。だから上手下手はともかく、逆に珍しさが先に立つ。啄木の思考や感情は、俳句という表現形式では盛りきれなかった。十七文字と三十一文字の差異を改めて見せつけられる。ほかに「冬一日火に親しみて暮れにけり」がある。いかにも啄木。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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