October 01 2010
匂はねばもう木犀を忘れたる
金田咲子
こういうのを実存傾向とでもいおうか。僕など加藤楸邨の体臭を感じてしまうがそれは個人的なこと。人は五感によって生を体感して生きている。ここにあるのは嗅覚の強調。木犀は見えてはいるのだが、匂わない限りは見えてはいても見られることはない。存在に気づかれることはないのだ。俳句は往々にしてここから箴言に入る。たとえば、個性を発揮していないと忘れられがちであるというふうに。そうすると木犀自体のあの甘いナマの匂いの実感が薄れてしまう。言葉通りまず実感を十分に味読してから箴言でもどこへでも飛べばいい。その順序が大切。『季別季語辞典』(2002)所載。(今井 聖)
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