June 302010
千枚の青田 渚になだれ入る
佐藤春夫
詞書に「能登・千枚田」とある。輪島市にあって観光地としてもよく知られる千枚田であり、白米(しろよね)の千枚田のことである。場所は輪島と曽々木のほぼ中間にあたる、白米町の山裾の斜面いっぱいに広がる棚田を言う。国が指定する部分として実際には1,004枚の田があるらしい。私は三十年ほど前の夏、乗り合いバスでゆっくり能登半島を一人旅したことがあった。そのとき初めて千枚田を一望して思わず息をのんだ。「耕して天に到る」という言葉があるが、この国にはそのような耕作地が各地にたくさんあり、白米千枚田は「日本の棚田百選」に選ばれている。まさしく山の斜面から稲の青がなだれ落ちて、日本海につっこむというような景色だった。秋になれば、いちめんの黄金がなだれ落ちるはずである。千枚田では田植えの時期と稲刈りの時期に、今も全国からボランティアを募集して作業しているのだろうか。春夫が千枚田を訪れたのはいつの頃だったのか。日本海へとなだれ落ちる青田の壮観を前にして、圧倒され、驚嘆している様子が伝わってくる。いちめんの稲の青が斜面から渚になだれ入る――それだけの俳句であるし、それだけでいいのだと思う。この文壇の大御所は折々に俳句を作ったけれど、雑誌などに発表することはなかったらしい。他に「松の風また竹の風みな涼し」「涼しさの累々としてまり藻あり」など、出かけた土地で詠んだ句がある。いずれも屈託がない。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)
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