May 152010
麦秋をうすく遊んでもどりけり
伊藤淳子
俳句は自分にとって遊びかな、とふと思う。仕事と遊びに分類するなら、今もこれから先も間違いなく遊びだが、遊び、というと、ちょっと適当っぽいニュアンスが漂う。かといって、真剣な遊び、などという言い方はあまり好きではないし、と考えがまとまらない。掲出句、さらりとうすく遊んできたという作者である。麦秋、が心地よい時間を、もどりけり、がほどよい疲れを思わせる。たとえばそれが吟行旅行だとしても、ともかく何でも見ておかなくては、俳句にしなければ、などと考えず、目に映るもの、肌で感じるものを楽しみながら、時間の流れに身をまかせるような過ごし方のできる作者なのだ。やはり俳句は私にとっては、遊び、という言葉のゆとりの意味合いも含めて、一生楽しめる遊びだろう。『夏白波』(2003)所収。(今井肖子)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|