April 012010
春園のホースむくむく水通す
西東三鬼
連翹、雪柳、桜、と花々は咲き乱れ、木々の枝からは薄緑の芽がそこここに顔を出している。見渡せば柔らかな春の空気に明るく活気づいた景色が目を楽しませてくれる春の園、だのにこの俳人は地面に投げ出されたホースにじっと目を凝らしている。心臓の鼓動を伝える血管のように水の膨らみを伝えてうねるホース。「むくむく」と形容されたホースが生き物のようだ。三鬼の視線に捉えられると「春の園」も美しさや華やかさを演出するものではなく生々しく過剰な生命力が吹きだまった場所に思えてしまう。三鬼はともすれば俳句の器に収まりきれないこうした自分の資質を持て余したのかもしれない。戦後、三鬼の誓子への傾倒について高柳重信は「とかく俳句から逸脱してしまいそうな彼の言葉の飛翔力に対し、それは、とりあえず、たしかな俳句の原器であった」と述べている。それにしても亡くなった日がエープリル・フールとは、一報を受けた人たちは唖然としただろう。自分の死さえ茶化してしまったような三鬼の在りようは最後まで俳句の尋常をはみ出していたように思う。『西東三鬼集』(1984)所収。(三宅やよい)
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