「円虹」の山田弘子さん死去。ポケットの底の虚しき二月かな(弘子)。(哲




20100210句(前日までの二句を含む)

February 1022010

 猪突して返り討たれし句会かな

                           多田道太郎

太郎先生が亡くなられて二年余。宇治から東京まで、熱心に参加された余白句会とのかかわりに少々こだわってみたい。「人間ファックス」という奇妙な俳号をもった俳句が、小沢信男さん経由で一九九四年十一月の余白句会に投じられた。そのうちの一句「くしゃみしてではさようなら猫じゃらし」に私は〈人〉を献じた。中上哲夫は〈天〉を。これが道太郎先生の初投句だった。その二回あと、関口芭蕉庵での余白句会にさっそうと登場されたのが、翌年二月十一日(今からちょうど十五年前)のことだった。なんとコム・デ・ギャルソンの洋服に、ロシアの帽子というしゃれた出で立ち。これが句会初参加であったし、宇治からの「討ち入り」であった。このときから俳号は「道草」と改められた。そのときの「待ちましょう蛇穴を出て橋たもと」には、辛うじて清水昶が〈人〉を投じただけだった。「待ちましょう」は井川博年の同題詩集への挨拶だったわけだが、博年本人も無視してしまった。他の三句も哀れ、御一同に無視されてしまったのだった。掲出句はその句会のことを詠んだもので、「返り討ち」の口惜しさも何のその、ユーモラスな自嘲のお手並みはさすがである。「句会かな」とさらりとしめくくって、余裕さえ感じられる。句集には「余白句会」の章に「一九九五年二月十一日」の日付入りで、当日投じた三句と一緒に収められている。道草先生の名誉のために申し添えておくと、その後の句会で「袂より椿とりだす闇屋かな」という怪しげな句で、ぶっちぎりの〈天〉を獲得している。『多田道太郎句集』(2002)所収。(八木忠栄)




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