年の数だけ豆を食べたのは十歳くらいまでだったろう。鬼はソトーッ。(哲




20100203句(前日までの二句を含む)

February 0322010

 節分や灰をならしてしづごころ

                           久保田万太郎

の「灰」はもちろん火鉢の灰であろう。節分とはいえ、まだまだ寒い昨日今日である。夜のしじまをぬって、どこやらから「福は内!」「鬼は外!」の声が遠く近く聞こえてくる。(もっとも、近年は「鬼は外!」とは言わないようだ。おもしろくない!)その声に耳かたむけながら、何をするでもなく手もと不如意に、所在なくひとり静かにそっと火鉢の灰をならしている。あるいは、家人が別の部屋で豆まきをしている、と想定してみると、家人と自分との対比がおもしろい。ーーそんな図が見えてくる句である。火鉢など今や骨董品となってしまったが、ソファーに寝そべって埒もないテレビ番組に見入っているよりも、ずっと詩情がただよってくるし、万太郎らしい抒情的色彩が濃く感じられる。「家常生活に根ざした抒情的な即興詩」というのが、俳句に対する万太郎の信条だったと言われる。ほかに「節分やきのふの雨の水たまり」という一句もある。そして「春立つやあかつきの闇ほぐれつつ」の句もある。明日は立春。平井照敏編『新歳時記』(1996)所載。(八木忠栄)




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